あちこちの里山の秋
- 田んぼの景色
- 豊作を祈り、祝う生活の中にある神社
- 稲刈り
- はざかけ
稲穂が実る秋の里の山は実に美しい。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
集落の神社
訪ねた村周辺の集落は紀元前8000~3000年の頃、縄文文化が栄えていた頃の生活道具が発見されているという。(村の標識から)
静かな村人たちの生活を邪魔しないよう神社の写真を撮りました。
この集落では田んぼを囲むようにして家々があり、治水などを協力して行っている。
村の中心には必ず神社があります。古代から神に豊作を感謝するため人々の生活から生まれたものです。
例えば、秋祭りなどは八百万の神に豊作を感謝するためのものです。その年の最初に穫れた新米を奉納します。
黄金色の田んぼで稲刈り
農家の人たちは秋になると稲刈りで大忙しの様子です。
稲穂がたわわに実ると稲は下に垂れてきます。その時が借り入れ時になります。黄金色に輝いた田んぼ一面に稲穂が実りあちらこちらで稲刈りが行われています。
稲刈りは昔の手作業から機械化に変わり効率は段違いに良くなりました。刈り取った稲も田んぼの真ん中に建っている共同のカントリーエレベーターで脱穀から出荷までされるという。
便利になった反面、昔の収穫の様子は、今は昔、の話になりました。「はざかけ」風景もめったに見られなくなりました。
ただ変わらないのは里の風景でしょうか。
はざかけ(稲架)
最近は、刈り取った稲を天日で自然乾燥させる「はざ(稲架)かけ」光景が見られなくなってきました。刈り取ったばかりの稲は水分を含んでいるので乾燥させるのですが地方によって天日干しに違いがあるようです。
従来の「干す作業」というのは、稲をハザ木にかけることです。
手間がかかる分、自然乾燥のお米は味が上がると言われています。
今の時代のように機械乾燥でやったほうが早く手間もかからないのは事実ですが・・。
稲の収穫時期になると、食育の一環として、また生活に大切なものであることからこの地の子供たちは学校で稲刈りをし、はざかけ作業を含む一連の作業を体験しするという。
都会の子供たちができない貴重な体験です。
昭和の時代の農繁期
昭和の時代「農繁期」になると学校が休みになったり授業が短縮されて子どもたちも家の田畑の仕事を手伝うという習慣がありました。
例えば「稲こき」と言って稲をこいで束から籾を取り分ける作業があり、その束を運んだり片付けたりする。
今では、田んぼの真ん中に大きな共同建物(カントリーエレベーター)を設置していて脱穀、精米などを経て出荷までを行っているので効率の点でいえば良くなっています。
機械化が進む一方、昔ながらの秋の風情
は消えていますが致し方ありません。
忙しい時期に雇い入れる人を「秋師」「秋女」と呼ばれていましたが今の時代には使われない言葉です。
藁を積んだ藁塚も今は昔。
昔の子どもたちは藁塚に隠れて鬼ごっこに興じていたものでした。
秋に関する言葉
稲穂、豊作、稲刈り、案山子、もみ、藁(わら)、脱穀、俵、収穫、お供え、神社、祭り、
はさ木、田守、稲垣、刈干し、段々畑、もみ殻、籾引き、豊年、不作、山田、五穀豊穣、
わら細工、新嘗祭など。