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「人類の進歩と調和」のテーマで開かれた大阪万博EXPO70は万博史上最高の人気を誇る

世界博覧会となりました。
入場者数は半年の会期中で6000万人を超えました。


あれから50年になろうとしています。

2025年にもう一度大阪で万博をと言う願いが叶いました。

EXPO’70三菱未来館のテーマ

パビリオンのテーマは50年後の日本を想定したものでした。
東京オリンピックが開催される2020年が50年後の日本で実現。

テーマのひとつ「50年後の海」は現在、海底調査が盛んに行われています。
海底資源の存在も確認されています。

テーマ「50年後の陸」では大都会のビルの間を走る高速道路を想定したものでしたがこれも現実になっています。
動く歩道も至る所に設置されていますね。

「あなたも参加するレクレーションルーム」のシルエトロン(影を大きく映し出す映像)の技術は今では目を見張るものがあります。

館内を「動く歩道」で案内される時に流れる曲は・・・・・・・
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あのゴジラの作曲者が未来館のために作曲

あのゴジラで知られている作曲家、伊福部昭氏が未来館のために作った曲です。

長い行列で待ちくたびれた観客の方が、三菱未来館に入るとホットしていた顔が忘れられません。
大声で騒ぐ人もおらず、待ちくたびれて怒る人もいなかったのが不思議なくらいです。

列になって動く歩道に乗ると部屋が薄暗くなっていきます。
事故がないようにスタッフは細心の注意を払って仕事に従事していました。

来館者は、まず日本の自然の部屋で気分が落ち着きます。
静かな音楽に吸い込まれ、外の熱さも人ごみの多さもここでは忘れてしまいます。

火山(ハワイのキラウエア火山の噴火の様子)が大画面に映し出される部屋では音楽と映像に
圧倒された人が多くいました。
ゴジラの特殊撮影に関わったスタッフの仕事がここでも評判になったと言うわけです。

東宝の力

ゴジラ
ゴジラの作曲者伊福部昭氏と東宝の円谷英二監督(開幕前に倒れ逝去)、田中プロデューサー他のスタッフの力が結集されたパビリオン、という評判が評判を呼び、半年で1000万人の来館者の記録を達成しました。アメリカ館、ソ連館に並ぶパビリオンとなる。

VIPのお客様

今上天皇皇后両陛下が皇太子、妃殿下の時にご来館なされました。
妃殿下の気品のある美しさに驚いたのを覚えています。
世界各国からのVIPが大勢来館され、英語力も必要とされました。

もちろん日本語の勉強や所作の訓練は開幕前にいたしました。
とっさの時のための手帳がまだ残っております。
スタッフは皆若く、接客の経験も不十分でしたが、そこは心配ご無用!
グループ企業の指導があり、言葉使いと所作の訓練は一流の指導者のもとで行われました。
教育訓練の時期に運悪くインフルエンザで休むことになり美容講義は受けずじまい。
ですから”美しさ”とは未だに無縁です(苦笑)

背は高くなくスタイルも普通の女性

当時は憧れの職業(たったの半年ですが)であり競争率も高かったと記憶していますが
今風の美人は数えるほどだったと思います。
ほとんどは普通の女性。
企業イメージを損なわない女性が重要視されていたのではないかと振り返って思います。
体力と気力と愛嬌(笑)があれば十分でした。

英語が流暢な日系アメリカ人女性が通訳として活躍しましたが当時は貴重な存在。

コンパニオンではなくホステス(正式な英語であり万博協会ではこちらを使用)

コンパニオンという言葉は万博から生まれた言葉ですが今は別の職業の女性が使う名称になっている。

ミニスカート

アメリカではミニスカートで一世を風靡したツイギーが活躍。
彼女のミニスカート姿を真似ようと○○足の女性さえもミニスカートをはいていました。
当時の流行はミニスカート。
制服もミニスカートに。

次の2025年のテーマは健康、長寿

70年代に活躍した若者が健康、長寿であれば、大阪万博2025も盛り上がることでしょう。

おまけ話

H30.03.17TV番組「サタデープラス」で当時万博に大きく関わった堺屋太一氏が振り返っています。
それは、世界的な建築家(都庁舎、代々木競技場他設計)丹下健三氏と太陽の塔を設計した岡本太郎氏との間で壮絶な意見のバトルがあったということです。丹下健三氏の反対を押し切って、岡本氏は「世界のお祭りだ、エポックを作りたい」と計画に入っていなかった太陽の塔(現存)を作ったということです。
丹下氏が岡本氏の熱意に負けたという歴史があった。

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