日本昔話◇はなさかじいさんのone scene◇枯れ木に花を咲かせます

日本昔話のはなさかじいさんは老若男女が知っている話です。
正直爺さんに助けられた犬のポチが「ここ掘れワンワン」と吠えると小判がザクザク!と出てきたり、枯れ木に花を咲かせるという話ですが、そこには正直な人間模様が、悪だくみをする爺さんとの対照で話が出来上がっています。


そんな昔話を動画にしてみました。

カラー筆ペンで筆記体スカイブルー色とオリーブグリーン色◇日本酒について◇Japanese Sake

筆ペンで筆記体

筆ペンで筆記体は案外書きやすいものです。
昔、学校で習った筆記体ですが今は、読みづらいということで教えていないようです。
書くより話す方が重要視されているようです。

昔取った杵柄(とまではいきませんが)で、義務教育中に覚えた筆記体は今でも覚えています。

派手さがない筆記体ですので市松模様と富士山の絵が描かれた折り紙を添えました。
英語の筆記体は、Japanese Sake is made from rice,suited for sake brewing.
と書きました。

美味しい米から美味しいお酒ができます。
その米も日本で作られた米を使うから「日本酒」と呼ばれます。

酒米 suited for sake brewing

お米は、酒造りに適した酒造好適米を使用します。

玄米(brown rice)を磨き(polishing)その後洗米(washing)されます。
洗米されたお米は浸漬され、蒸されます。
蒸し終わったお米をこしきに入れて広げられ、麹菌を蒔いて数日置きます。

というようにお米がお酒に変わるまでに何段階もの作業が行われます。
まだまだお酒に行くまでには段階を踏まなければなりません。


もう届かない年賀状

秋に想う


父親の他界後の気持ちを綴った文章です。

 実家の庭先に咲いた淡い色の花。父が部屋から眺められるようにと蒔いたコスモスが秋の風に揺れています。
 昨年の今頃、コスモスの揺れるのを眺めながら、年老いた両親とともに行く秋の日を過ごしていたのが、つい先日のように思い出されます。
 このゆったりとした時間が私はたまらなく好きでした。

 今年の、父から届いた年賀状には「来る歳の善きことのみ祈りつつ 若水汲(くみ)て神棚に捧げる」と書かれていたのですが、二月の寒い日に逝ってしまいました。家族全員に看取られながらの大往生でした。九十二歳でした。

  教育者として実直な人生を送り、最期まで母のことを気にかけていた父。
米寿を迎えた年の年賀状には、「激動の世を永らえてしみじみ(さんずいに心)と米寿迎えて妻と静かに」と晩年の心境を詠っていました。

 父からの年賀状はもう届きません。

 コスモスの花が揺らいでいます。母とたたずむ晩秋の庭先にほのかな香りが漂った気がします。父からの便りでしょうか。

2008年 冬 中日新聞社「紙上診断室」に掲載

日本の秋の田園風景

お米について

今年は米の出荷量までコロナ感染症の影響を受けていると聞いています。

しかし、秋になれば田んぼ一面に穂をつけて実りの秋となります。
各県ごとに多品種の米が生産されていてその地方の風土にあったお米が収穫されています。


ある小学校では教育の一環として田植えから収穫までをさせているところがあります。
ニュースを見る限り、この傾向は増えているように感じます。
自分たちが育てたお米が給食に上がってくれば喜びもひとしおでしょう。

田園風景

梅雨時には十分な雨量を得て、夏には太陽をいっぱい浴びて育つコメの様子を写真に収めました。
あぜ道に沿って昔は小川が流れていましたが、今は用水路になっています。
この用水路のお蔭で水の量がコンントロールされています。

秋の田に関する言葉

稲穂、豊作、稲刈り、案山子、もみ、藁(わら)、脱穀、俵、収穫、お供え、神社、祭り、
はさ木、田守、稲垣、刈干し、段々畑、もみ殻、籾引き、豊年、不作、山田、五穀豊穣、
わら細工、新嘗祭など。

2020年干支「子」は神の使い

京都に「狛犬」ならぬ「こまねずみ」が鎮座している神社があるそうです。
祀っているのは大国主命です。

古事記の中では大国主の命はいろいろな試練を受けていたようです。
「根の国」では一面が火の野原になったところにオオクニヌシ自身が置かれてしまい、どちらへ逃げたらよいか困っている時にネズミが出てきて、洞穴を案内してくれたお蔭で命拾いをしたという神話があります。
大国主命を助けたネズミということでコマネズミが神社を守っているそうですよ。

12年前の子年に伊勢神宮参拝の時に購入した木彫りのネズミ。

日本の暦 12か月

1月睦月は初という字がつく行事がたくさんあります。

1月 睦月(むつき)
   「む」は初という意味があるそうです。
    初詣で(1月1日)
初荷(1月2日)
初辰(1月2日)初夢(1月2日)
     初己(1月3日)
初水天宮(1月5日)
初酉(1月7日)
初薬師(1月8日)
    初亥(1月9日)
初子(1月10日)初金毘羅(1月10日)
初寅(1月12日)
    初観音(1月18日)
初大師(1月21日)
初地蔵(1月24日)
初天神(1月25日)
初不動(1月28日)
2月 如月(きさらぎ)
3月 弥生(やよい)
4月 卯月(うづき)
5月 皐月(さつき)
6月 水無月(みなづき)
7月 文月(ふみづき)
8月 葉月(はづき)
9月 長月(ながつき)
10月神無月(かんなづき)
11月霜月(しもつき)
12月師走(しわす)


徳川家康誕生の地、三河 岡崎城

478年前にこの地で誕生した家康

京都と江戸を結ぶ東海道(一号線)が岡崎城の近くを走っています。
東海道沿いの松の木は長年の間に枯れたりしてその風情が失われてしまいましたが、この岡崎城内にはたくさんの松があります。

関ケ原の合戦に大勝した家康公の銅像

江戸幕府300年の基盤を作った家康公はここ岡崎城で誕生しました。
岡崎城の起源は15世紀前半まで遡るという古い城です。
城は、明治維新に取り壊され(明治政府はこの点、冷酷に取り壊した。譜代大名のいた地は敵であったためそのようなことをしたという歴史があります)

家康は人質になる運命をたどるわけですが19歳で自立しました。
その間秀吉の重臣が岡崎城の城主となったことがあります。
秀吉の基の名は木下藤吉郎、矢作川の橋の上で蜂須賀小六(盗賊)と出会った逸話は有名です。
家康は江戸幕府を開いた後譜代大名を置いたという歴史があります。
そんな戦国時代の三河には天下統一を果たそうとする人間がすぐ近くにいたのです。
門松が大手門に飾られていました。

正月ということで門松が飾られています。
大手門にふさわしい大きな門松です。松竹梅の梅はまだ開いていませんが。

龍城神社で御朱印もらえます

築城した際に井戸から龍が現れたという言われから名付けられ祀ったという古くからある神社で岡崎城も龍ヶ城と呼ばれていた。
家康が生まれた時には金の龍が出たという。

家康公産湯の井戸

松に囲まれ城内に産湯の井戸があります。

2020年1月現在

あれもこれもリチュウムイオンのお蔭

昭和23年生まれの団塊世代の吉野彰氏(旭化成の名誉フェロー)がノーベル化学賞を受賞しました。
リチュウムイオン電池の開発者です。

ニッケル電池からリチュウムイオン電池になって身の回りのものが小型で軽いものに変わったということです。

あれもこれもリチュウムイオン電池のお蔭なのです。


明るい顔のノーベル化学賞受賞者、吉野彰氏

私たちはスマホ、ビデオカメラ、ノートパソコン、デジタルカメラなど数え切れないほどリチュウムイオン電池の恩恵を受けています。

スケールの大きいことでは、はやぶさ2に搭載、ボーイング787のエンジンが電動駆動に代わる、新幹線N700S形の自動走行システムを支えているなど。

はやぶさ2に搭載された理由にリチュウムイオン電池は宇宙の中で充電を繰り返すことができ、その上劣化しにくいという長所があったからという。

当のご本人はスマホも最近まで使っていなかったと笑っていました。

研究人生の最初の頃

30年以上の研究を重ねてきた苦労を明るく受け止めている吉野氏ですが、研究を始めて3~4年後が辛かったと述べています。
今から33年前ほど前のことです。
次から次へと解決していかなければならない問題があったというのです。

その頃、枕に髪の毛がくっついているのを見てストレスがあるんだなと感じたと奥様が言われていました。
こういうこと(受賞)になるならもっとサポートしてあげればよかったと笑って話す奥様も明るい!

研究はマイナス極の材料から始めたという。

研究に大切なことは柔軟性と鋼直性、そして執念という。
未来を読みながら研究する先読みすることは、少々の苦労をものともしない。

作っても売れない時期があったが、windows95が出てきたのをきっかけに道が開けたという。

携帯に使えるとはだれも想像していなかった時期、世の中ではポータブル化していく流れがあり小型化が必要だったことに繋がった。

同僚の研究者が、吉野氏は誰も思いつかないことにひらめきがある人だったという。

座右の銘は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というのも頷けます。
この齢になっても謙虚にという姿勢は変えないとのこと。

子供たちへのメッセージ

子供たちへのメッセージは、好奇心を持つこと、いろいろと経験していくこと、そして、だれかがきっかけを与えられることが必要だと。

自分自身もきっかけを与えてくれる人がいた、大騒ぎして喜ぶことも大切ですという吉野氏の顔は子供のように明るい。

ご自身が子供の頃、ろうそくの芯は何のためにあるのだろう?という思いから化学に興味を持ったという。

リチュウムイオン電池の伸びしろ

リチュウムイオンはまだまだ謎が多いというのです。
リチュウムイオン元素は軽い元素で、そのものはシンプルだがイオンになった時に挙動が出てくることがある。
伸びしろがある分野ですという。

IOT, AIが融合して新しい世界を生み出していく、その時に大きな役割を果たすのではないでしょうかと。

カメラがたくさんあったのでドッキリカメラだと思ったと言って場を和ませている吉野氏でした。(TV報道から)




金銀山で有名な佐渡には歴史的な物語がいっぱい

百人一首百番目の歌は佐渡に流された順徳院の歌

百敷や 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり

百人一首 順徳院

繁栄した昔を忍んで歌ったものが最後の百番目を飾っています。

承久の乱で敗れた順徳院(天皇の位を退位して承久の乱に参加)は佐渡に流罪となり、そこで20年以上過ごしたと言われています。
そして佐渡で一生を終えました。
能の世阿弥や宗教家日蓮なども佐渡に流罪となっています。

佐渡には悲しい物語がいっぱいですが、そんな佐渡には金銀山があり、江戸時代には重要な土地でした。
政治的に流罪となった文化人の影響で、文化遺産が今もなお多くあります。

ジェットホイルで佐渡へ

新潟港からジェットホイルで佐渡へ向かいました。
新潟駅から新潟港まではタクシーで10分ほどで行けます。

新潟港から両津港へは50分ほどの船旅ですがほとんど揺れません。
フェリーとジェットホイルがあり、佐渡で車を使いたい人はフェリーがいいでしょう。
ジェットホイルはフェリーより30分ほど短縮できますがゆっくり日本海を楽しむ方はフェリーでも。

両津港が見えてきました。
国際保護鳥の朱鷺、トキ色は顔の辺りの色のことです。羽を広げた時の内側もトキ色です。
金銀山に向かう途中に史跡があります。

金山の中はひんやりして暗い

金山の洞窟はひんやりしていて冷房知らずですが真っ暗な中の作業で視力を失う人も出たとか。
金山が幕府の重要な場所だったことは対岸の本州側、出雲崎の歴史標から理解できます。

砂金堀の様子が模型で示されています。

佐渡からの船着き場は重要な場所だった

佐渡からの船着き場に出雲崎があります。
明治天皇の行幸や吉田松陰の来県の記録があることから重要な土地であったことが窺えます。

鎖国中イギリス人、アメリカ人、ドイツ人も訪れています。

この出雲崎の港から順徳院は佐渡に流されました。

海岸線

海は荒海、向うは佐渡よ~♪という歌があります。
海岸線に沿って走ると人面岩を見つけました。

ところで佐渡にはクマはもちろんイノシシもいないと聞きましたが確かではありません。

今治謹製 紋織タオルを頂きました

今治ブランドを使用するには条件をクリアしなければならないようです。

吸水性と肌触りが抜群の今治タオルの箱の中の様子、奈良時代から築上げた職人の技がタオルの中に詰まっています。

大正時代からのジャガード織の先駆者としての今治、日本人の繊細な肌にはもちろんのこと、世界中でも評判の今治タオルです。

綿100%のこのタオルは紋様になっていて、海や川の流れを連想させます。
心地よい感触が気分を和らげてくれます。

贈り物に使いたくなるほどのタオルと丁寧な内容です。
波をイメージしたタオルがこちらです。↓↓

瀬戸内海の大島、大三島、伯方島などを通り今治市と尾道を結ぶしまなみ海道があり交通は非常に便利になっています。
尾道から今治迄までの距離は46.6km
途中、伯方の塩で有名な伯方を通ります。

因みに、瀬戸内海の美しさは明治時代に外国人によって発見されたと言われています。

お数珠の持ち方、お焼香の仕方

暑い夏も終わり、お彼岸が近づいてきました。
お数珠を持ってお参りする方が多いと思います。
そのお数珠、焼香をする時に人それぞれのやり方、数珠の持ち方があります。

あるご住職のお話です。「私は浄土真宗東本願寺と大谷派の教えしか知りませんから、他の宗派のやり方は知りません」と前置きされました。

簡易型のお数珠は(白い)珠を下にして(房が下がる)親指と人差し指の間で挟み、両手を数珠の輪の中に入れます。
ところが片手だけを輪に入れもうひとつの手のひらで抑える人、また数珠は片手の手首のところにぶらさげて手を合わせる人、いろいろな方がいらっしゃいました。

私は他の宗教の事を知りませんからどれが間違いかは言いません。
私が教わってきたやりかた、数珠の輪の中に両手の掌を合わせて入れる。このやり方しか知りません。

また長い108の数珠玉の珠の正式な場合は、房が長いので白玉も上にして(つまり房も上にして)房を左側に垂らすというのが東本願寺の作法となっております。
この頃は、葬儀場の係の人が作法を説明してくれることが多くなりましたから迷うことが少なくなったかもしれません。
東本願寺大谷派は、抹香を押しいただかないで2回つまんで香炉に落とす(宗派によって違います)

お焼香も最初に説明があるのは助かります。
お数珠を忘れてしまったり、お数珠を使わない宗派のひとは使わなくても心配無用とのことです。

春の彼岸の法話

春の彼岸の日に、お寺様の法話の中で「死」という字の説明がありました。
左の夕という字は骨を表していて右のカタカナ「ヒ」に似ている字は向き合う姿を表し合掌した形に似ている。

だれもが向き合う人生の最期、子に先立たれた親の心境は計り知れない悲しみがあります。と続きます。
お話の中で禅僧、良寛の歌の話が出ました。

「散る桜、残る桜も、散る桜」

良寛

子供と遊ぶ良寛和尚
桜ははかなく散っていきますが残っている桜もやがて散っていきます。
はかなさが桜の歌で例えられています。
良寛はこの歌を桜で有名な吉野の里で作ったということです。