平安な時代だった都の暮らしにタイムスリップできる京都御所

一般公開日の最終日に京都御所を訪れました。
御苑の中を散歩しながら御所入り口に向かう途中、玉砂利の音でタイムスリップ。
御所と城との違いは、御所にはお堀がないことです。
こういうところからも平安な時代であったと感じます。

雅な世界にタイムスリップ



鶴、虎、鴨などが描かれた部屋が並んでいる。

玉砂利を踏みながら紫宸殿の方へ歩きます。

門の向こう側に見えるのが紫宸殿。 ここで重要な儀式が行なわれていました。

蹴鞠の一般公開

運よく蹴鞠を見ることが出来ました。
蹴鞠は作法があり、一定のルールで蹴り上げる和式サッカーです。

結構うまく蹴り上げていました。

重要な儀式が行われた紫宸殿

大正天皇、昭和天皇の即位式もこの紫宸殿で行われました。

左近の桜
右近の橘

回遊式庭園

御所内の自然、建物が一体となっている。落ち着いた雰囲気の庭園です。

春に訪れたので桜が満開

お抹茶で一服

やまぶきの花が出口に咲いていました。(春)

ヨーロッパからの買い付けで活気づく錦鯉の町

新潟県山古志の錦鯉

新潟県は錦鯉の産地です。
錦鯉の姿に魅了されて外国(特にヨーロッパ)からの買い付けがあるそうです。

錦鯉は江戸時代、食用の真鯉から突然変異によってその模様鯉が出現したそうです。
泳ぐ姿、模様、色合いなど、美しい鯉が泳いでいます。

名前がある錦鯉

赤、黒、白が入った鯉が昭和三色、白ベースで赤、黒、白が入っていて女性らしいのが大正三色だそうです。見分けるのが難しいです。

丹頂鶴のように赤く丸い班が頭にあるのが(下の水槽の右上)丹頂、日の丸に通じているので人気だそうです。

体型は丸みを帯びたのが良く、美しさを競う質では、白はより白く、赤は鮮明な赤であることが条件、模様は品質によって評価が変わるということです。

人間のミスコンテストと同じですね。

金銀山で有名な佐渡には歴史的な物語がいっぱい

百人一首百番目の歌は佐渡に流された順徳院の歌

百敷や 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり

百人一首 順徳院

繁栄した昔を忍んで歌ったものが最後の百番目を飾っています。

承久の乱で敗れた順徳院(天皇の位を退位して承久の乱に参加)は佐渡に流罪となり、そこで20年以上過ごしたと言われています。
そして佐渡で一生を終えました。
能の世阿弥や宗教家日蓮なども佐渡に流罪となっています。

佐渡には悲しい物語がいっぱいですが、そんな佐渡には金銀山があり、江戸時代には重要な土地でした。
政治的に流罪となった文化人の影響で、文化遺産が今もなお多くあります。

ジェットホイルで佐渡へ

新潟港からジェットホイルで佐渡へ向かいました。
新潟駅から新潟港まではタクシーで10分ほどで行けます。

新潟港から両津港へは50分ほどの船旅ですがほとんど揺れません。
フェリーとジェットホイルがあり、佐渡で車を使いたい人はフェリーがいいでしょう。
ジェットホイルはフェリーより30分ほど短縮できますがゆっくり日本海を楽しむ方はフェリーでも。

両津港が見えてきました。
国際保護鳥の朱鷺、トキ色は顔の辺りの色のことです。羽を広げた時の内側もトキ色です。
金銀山に向かう途中に史跡があります。

金山の中はひんやりして暗い

金山の洞窟はひんやりしていて冷房知らずですが真っ暗な中の作業で視力を失う人も出たとか。
金山が幕府の重要な場所だったことは対岸の本州側、出雲崎の歴史標から理解できます。

砂金堀の様子が模型で示されています。

佐渡からの船着き場は重要な場所だった

佐渡からの船着き場に出雲崎があります。
明治天皇の行幸や吉田松陰の来県の記録があることから重要な土地であったことが窺えます。

鎖国中イギリス人、アメリカ人、ドイツ人も訪れています。

この出雲崎の港から順徳院は佐渡に流されました。

海岸線

海は荒海、向うは佐渡よ~♪という歌があります。
海岸線に沿って走ると人面岩を見つけました。

ところで佐渡にはクマはもちろんイノシシもいないと聞きましたが確かではありません。

今治謹製 紋織タオルを頂きました

今治ブランドを使用するには条件をクリアしなければならないようです。

吸水性と肌触りが抜群の今治タオルの箱の中の様子、奈良時代から築上げた職人の技がタオルの中に詰まっています。

大正時代からのジャガード織の先駆者としての今治、日本人の繊細な肌にはもちろんのこと、世界中でも評判の今治タオルです。

綿100%のこのタオルは紋様になっていて、海や川の流れを連想させます。
心地よい感触が気分を和らげてくれます。

贈り物に使いたくなるほどのタオルと丁寧な内容です。
波をイメージしたタオルがこちらです。↓↓

瀬戸内海の大島、大三島、伯方島などを通り今治市と尾道を結ぶしまなみ海道があり交通は非常に便利になっています。
尾道から今治迄までの距離は46.6km
途中、伯方の塩で有名な伯方を通ります。

因みに、瀬戸内海の美しさは明治時代に外国人によって発見されたと言われています。

シュリーマンが見た江戸

「シュリーマン旅行記 清国・日本」の放送が公共放送から流れてきます。
教科書で学んだトロイの遺跡を発掘した、あのハインリッヒ・シュリーマンです。
江戸末期に日本を訪れている。

素晴らしい評判を山ほど聞いていたので、私は江戸へ行きたくてうずうずしていた。(石井和子訳)

幕末の江戸では開港か否かをめぐって安定しない情勢だった。
見るもの聞くものを事細かく書いている。
日本人にとっては当たり前の生活様式だが、シュリーマンは日本の文化に感嘆している。

茶碗について

まるで卵の殻のように薄いにもかかわらず、きわめて丈夫な陶器の茶碗があると書いている。

西洋人にとっては小さすぎて、何に使われるのかわからないと言いながら、光り輝く漆器や蒔絵の盆などの美しさについて感心している。

江戸時代 の様子が私たち日本人にとっても目に浮かぶようだ。

絹織物

シュリーマンはこの織物屋の畳にも目が行っていて、長年にわたって清潔に保たれていると書いている。
特に反物屋の畳はきれいなのは私たちにとっては常識。
その反物屋に下駄を脱いで畳の上に座り品定めをしている客の様子が書かれている。

そういえば昭和の初めは京都大丸での買い物で草履を脱いで上がったということを昔の人から聞いている。

流石のシュリーマンの観察力。
反物は引き出しから出すのではなく在庫品置き場の上の階まで取りに行くところまで見ている。

国産の絹織物を扱う店が多いのに驚いている。
品数の豊かさ店の大きさにも触れている。

障子戸を広く開けて反物を打っている店は今でもあるが、 着物が主流の生活様式であった 江戸時代には現在の反物屋よりもっと活気があったに違いない。

女性の服装

着物の下着は木綿で前開きであり、その上に鮮明な色彩の長い着物を付けていて長い帯で巻かれている。

帯の結び目のところを、昔の弾薬入りのようだと例えている。
日本人にとって弾薬入りがどんなものか分からないが、丸びを帯びた帯が珍しく映ったのではないかと思う。

一度は行ってみたい雪国の町、関東と越後を結ぶ道三国街道沿いの魚沼

「春は名のみの風の寒さよ~♪」の春は来ているけど、まだまだ寒い三国街道沿いに位置する魚沼地方です。

戦国武将、上杉謙信が越後から関東へ向かった道が三国街道、その三国街道沿いにかつては宿場町があり現在は観光地になっています。

お酒

古い町並みを見学しながらお酒や食事を楽しめる場所。

越後上布を雪の上でさらす景色は一度は見てみたいもの。
雪解けが進むこの時期、草木の芽が出始めていて春の息吹を感じます。

お米の収穫時期も日本の原風景ですが、雪景色は今しか見られないのでチャンスを逃さないように!
12月~2月は雪の多さに不便をきたすことが多いのですが、春になって雪解けが進んでいる今の景色も捨てたもんではありません。

もちろん真冬のゲレンデは一番輝いている時期ですが・・・・。

国内の雪景色をちょっと見て情緒も味わいたいと思う人にオススメなのが春。

「春は名のみ~」なので雪、雨用の靴は必須です。

和装では欠かせない帯と帯締め!銀色に光る帯とサンゴの帯締めの色合い

着物の帯は洋風で言うとベルトに相当しますが、全くイメージが違います。

日本の帯の種類が豊富なことは言うまでもありません。
ファッションの一つなので当然と言えば当然ですが、買わずとも見るだけでもウキウキします。

「帯に短し 襷に長し」という諺がありますが、役に立たないという意味です。

帯にする最終段階(縫い合わせる)を作っていたのを見たことがありますが昔の女性はそういう点では器用にならざるを得なかったようです。

反物を縫う人たちは極端に減ってきました。
女性のたしなみの一つとして反物縫いは必須だった時代も。
今は職人さん任せになってしまったのですが生活の為ではなく、趣味用の手織り機が販売されています。

帯の結び方

帯の結び方は一度覚えてしまえば楽ですがめったに着ないお帯のために練習する人も減ってきたのではと思います。

写真の帯の柄は真ん中の位置を気にせず結ぶことができるので重宝します。
帯の合理的な点は一枚の長い反物なので折って仕舞うことができる所です。

帯の結び方の説明が丁寧にされている動画を見つけました。
他にも沢山あるようです。

帯どめ

帯には帯留めを使いますが使わないことの方が多い。
サンゴの帯締めも使わずじまいで眺めるばかり。

母から譲り受けたものですが、母はその父親から贈られたもの(私たちからは祖父)で、細工はキチンとされているので長持ちしています。

京都では観光客が舞妓姿で街を歩いているのを見ますが本当の舞妓さんと、にわか舞妓さんとはすぐ区別ができます。

これもご愛敬。

*旅行するなら宿泊場所探しが必要です。
【TripAdvisor】

日本の国の石、ヒスイは世界最古の石であり縄文時代が最古の石文化

ひな祭りの3日の朝、NHKラジオから流れて来た「翡翠(ヒスイ)」の話を
まとめてみました。
ヒスイは2016年に国の石として登録されています。

翡翠は5億2000万年前からあったという
ヒスイ産地は新潟県糸魚川市が一番有名で、日本各地で縄文時代に翡翠を使った勾玉(まがたま)が発見されています。
翡翠を使った文化は日本が世界で最古ということです。

翡翠はどこから来るのでしょう。

それは山から流れ落ちてくると言うことです。
どの山にもあるわけではなく限られた山にしかないそうです。
山から雨風によって削られて川に流れる、その後、海へ流れ出していくということです。

小滝川ヒスイ狭は天然記念物に指定されているので採掘はできません。

糸魚川市はフォッサマグナ(糸魚川ー静岡構造線)が通っています
この辺りではアンモナイトも多く見つかっています。

このような地層が大きく関係しているようです。
だから神秘性を有しているのです。

縄文時代に使われていた翡翠が奈良時代になるとパタット止まって奈良時代から
千年くらい忘れ去られていたようです。

強度

岩石の硬度で一番はダイヤモンドですが強さはダイヤモンドより強いと言うことです。
(硬度と強さは違うようです)
縄文時代の人はその石で槍などを作っていたのかもしれません。
縄文時代の人たちは国内を移動もしていたようで他の土地でひすいの加工物が見つかって
います。
北日本など寒冷地の大昔はどんな気候だったのでしょうか。
寒い所で住めるほどの食料や生活様式は十分でなかったと思われるのですが。

そんな翡翠ですが本来のヒスイの色は白(色がない)だそうです。
きれいなグリーンは実は不純物が混じっているもので、その色の美しさのゆえに
重宝されているそうです。

2017/ 3/ 4 0:17

何か面白い話ですね。ラベンダーカラーなど色が付いたものはそうらしいです。
縄文時代の勾玉なども綺麗な緑色をしているので純粋な翡翠は数が少ないのでしょう。

ジオパーク

フォッサマグナミュージアムでは年間行事予定の中でジオツアーがあります。
専門家の話を聞くチャンスです。

 

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11月15日は七五三、子供の成長と健康を願っての七五三参り

11月15日は七五三の祝いの日。

数え年で3歳と5歳の男子、3歳と7歳の女子を祝います。

最近、写真屋さんで着物を借りて記念撮影をする家族が増えました。
着慣れない着物や服を着てお参りするだけでも子供にとっては大仕事。
子供の成長と健康を願っての七五三参り、江戸時代から続いているそうです。

最近は15日にこだわらずに都合のいい日を選んでお参りに行く家庭や
満の年齢で祝う家族もあります。
子供の成長と健康を祝うことに意味があるので10月~11月であればいつでも
良いのかもしれません。

この日に千歳あめ(読んで字のごとく)をもらう子供にはその意味だけでも教える
といいかもしれません。

2016/ 7/17 16:22
平安神宮

犬の形をした千歳飴