百人一首でその土地を巡る:天の橋立

百人一首60番歌

大江山
いく野の道の
遠ければ
まだふみもみず
天の橋立

小倉百人一首60番歌 小式部内侍

百人一首60番歌の作者は小式部内侍(女性)、その母は天才歌人で名高い和泉式部です。
宮中で働くようになった小式部内侍は才能があり歌も上手だったので周囲からやきもちを焼かれていました。
周囲は、「あなたの歌はお母さんが代筆しているんでしょ」というもの。

現代でしたら、訴えることもしますが昔のことです。
また、そんなことを口に出すことも許されない時代でした。

才能を認められている小式部内侍は歌会でこの歌を披露、その気持ちを表しました。

和泉式部は再婚をして天橋立の地にいるのですが、「わたくしはその遠いところにも行っていないし手紙も見ていないのですよ」というも

草薙の剣(くさなぎのつるぎ)が祀られている熱田神宮

熱田の森に参拝する人たち

名古屋地区の人々に「熱田さん」と親しまれている熱田神宮。
この熱田神宮に三種の神器の一つ、草薙の剣が祀られています。
草薙の剣の話は「ヤマタノオロチ」に出てきますがこの神話は日本人にはなじみがあります。
ヤマタノオロチは人間を餌食にするという大変な怪物ですが、それを知ったスサノオノミコトが八塩折りの強い酒を大蛇に飲ませ酔ったところを退治したという神話です。
スサノオノミコトは退治した大蛇の尾から太刀を見つけ、それを天照大御神に献上したという。
そんな歴史が古く由緒ある熱田さんには小正月が過ぎても参拝する人が多い。

お賽銭の意味

お賽銭(さいせん)は穢れをお金にくっつけて捨てるものらしいです。
お金には災いや穢れを吸いつける力があるという。

埼玉県のある所では白い紙に包んで清めてから使うという。
額の多さは関係ないと言われます。
正面に向かって音が鳴るように入れる。
正面、左側、右側に入れる。

納めることができ綺麗に清められる場所がよい。

熱田神社へのアクセス

名鉄線では神宮前で降りて道を横切るとすぐに東門が見えます。
名鉄名古屋駅から5~6分で到着、料金は230円です。
名古屋駅(桜通り方面)からタクシーで行くと西門まで3000円弱かかります。
地下鉄でも行けますが、乗り換えが必要。
近くには白鳥小学校があります。

徳川家康誕生の地、三河 岡崎城

478年前にこの地で誕生した家康

京都と江戸を結ぶ東海道(一号線)が岡崎城の近くを走っています。
東海道沿いの松の木は長年の間に枯れたりしてその風情が失われてしまいましたが、この岡崎城内にはたくさんの松があります。

関ケ原の合戦に大勝した家康公の銅像

江戸幕府300年の基盤を作った家康公はここ岡崎城で誕生しました。
岡崎城の起源は15世紀前半まで遡るという古い城です。
城は、明治維新に取り壊され(明治政府はこの点、冷酷に取り壊した。譜代大名のいた地は敵であったためそのようなことをしたという歴史があります)

家康は人質になる運命をたどるわけですが19歳で自立しました。
その間秀吉の重臣が岡崎城の城主となったことがあります。
秀吉の基の名は木下藤吉郎、矢作川の橋の上で蜂須賀小六(盗賊)と出会った逸話は有名です。
家康は江戸幕府を開いた後譜代大名を置いたという歴史があります。
そんな戦国時代の三河には天下統一を果たそうとする人間がすぐ近くにいたのです。
門松が大手門に飾られていました。

正月ということで門松が飾られています。
大手門にふさわしい大きな門松です。松竹梅の梅はまだ開いていませんが。

龍城神社で御朱印もらえます

築城した際に井戸から龍が現れたという言われから名付けられ祀ったという古くからある神社で岡崎城も龍ヶ城と呼ばれていた。
家康が生まれた時には金の龍が出たという。

家康公産湯の井戸

松に囲まれ城内に産湯の井戸があります。

2020年1月現在

平安な時代だった都の暮らしにタイムスリップできる京都御所

一般公開日の最終日に京都御所を訪れました。
御苑の中を散歩しながら御所入り口に向かう途中、玉砂利の音でタイムスリップ。
御所と城との違いは、御所にはお堀がないことです。
こういうところからも平安な時代であったと感じます。

雅な世界にタイムスリップ



鶴、虎、鴨などが描かれた部屋が並んでいる。

玉砂利を踏みながら紫宸殿の方へ歩きます。

門の向こう側に見えるのが紫宸殿。 ここで重要な儀式が行なわれていました。

蹴鞠の一般公開

運よく蹴鞠を見ることが出来ました。
蹴鞠は作法があり、一定のルールで蹴り上げる和式サッカーです。

結構うまく蹴り上げていました。

重要な儀式が行われた紫宸殿

大正天皇、昭和天皇の即位式もこの紫宸殿で行われました。

左近の桜
右近の橘

回遊式庭園

御所内の自然、建物が一体となっている。落ち着いた雰囲気の庭園です。

春に訪れたので桜が満開

お抹茶で一服

やまぶきの花が出口に咲いていました。(春)

ヨーロッパからの買い付けで活気づく錦鯉の町

新潟県山古志の錦鯉

新潟県は錦鯉の産地です。
錦鯉の姿に魅了されて外国(特にヨーロッパ)からの買い付けがあるそうです。

錦鯉は江戸時代、食用の真鯉から突然変異によってその模様鯉が出現したそうです。
泳ぐ姿、模様、色合いなど、美しい鯉が泳いでいます。

名前がある錦鯉

赤、黒、白が入った鯉が昭和三色、白ベースで赤、黒、白が入っていて女性らしいのが大正三色だそうです。見分けるのが難しいです。

丹頂鶴のように赤く丸い班が頭にあるのが(下の水槽の右上)丹頂、日の丸に通じているので人気だそうです。

体型は丸みを帯びたのが良く、美しさを競う質では、白はより白く、赤は鮮明な赤であることが条件、模様は品質によって評価が変わるということです。

人間のミスコンテストと同じですね。

金銀山で有名な佐渡には歴史的な物語がいっぱい

百人一首百番目の歌は佐渡に流された順徳院の歌

百敷や 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり

百人一首 順徳院

繁栄した昔を忍んで歌ったものが最後の百番目を飾っています。

承久の乱で敗れた順徳院(天皇の位を退位して承久の乱に参加)は佐渡に流罪となり、そこで20年以上過ごしたと言われています。
そして佐渡で一生を終えました。
能の世阿弥や宗教家日蓮なども佐渡に流罪となっています。

佐渡には悲しい物語がいっぱいですが、そんな佐渡には金銀山があり、江戸時代には重要な土地でした。
政治的に流罪となった文化人の影響で、文化遺産が今もなお多くあります。

ジェットホイルで佐渡へ

新潟港からジェットホイルで佐渡へ向かいました。
新潟駅から新潟港まではタクシーで10分ほどで行けます。

新潟港から両津港へは50分ほどの船旅ですがほとんど揺れません。
フェリーとジェットホイルがあり、佐渡で車を使いたい人はフェリーがいいでしょう。
ジェットホイルはフェリーより30分ほど短縮できますがゆっくり日本海を楽しむ方はフェリーでも。

両津港が見えてきました。
国際保護鳥の朱鷺、トキ色は顔の辺りの色のことです。羽を広げた時の内側もトキ色です。
金銀山に向かう途中に史跡があります。

金山の中はひんやりして暗い

金山の洞窟はひんやりしていて冷房知らずですが真っ暗な中の作業で視力を失う人も出たとか。
金山が幕府の重要な場所だったことは対岸の本州側、出雲崎の歴史標から理解できます。

砂金堀の様子が模型で示されています。

佐渡からの船着き場は重要な場所だった

佐渡からの船着き場に出雲崎があります。
明治天皇の行幸や吉田松陰の来県の記録があることから重要な土地であったことが窺えます。

鎖国中イギリス人、アメリカ人、ドイツ人も訪れています。

この出雲崎の港から順徳院は佐渡に流されました。

海岸線

海は荒海、向うは佐渡よ~♪という歌があります。
海岸線に沿って走ると人面岩を見つけました。

ところで佐渡にはクマはもちろんイノシシもいないと聞きましたが確かではありません。

今治謹製 紋織タオルを頂きました

今治ブランドを使用するには条件をクリアしなければならないようです。

吸水性と肌触りが抜群の今治タオルの箱の中の様子、奈良時代から築上げた職人の技がタオルの中に詰まっています。

大正時代からのジャガード織の先駆者としての今治、日本人の繊細な肌にはもちろんのこと、世界中でも評判の今治タオルです。

綿100%のこのタオルは紋様になっていて、海や川の流れを連想させます。
心地よい感触が気分を和らげてくれます。

贈り物に使いたくなるほどのタオルと丁寧な内容です。
波をイメージしたタオルがこちらです。↓↓

瀬戸内海の大島、大三島、伯方島などを通り今治市と尾道を結ぶしまなみ海道があり交通は非常に便利になっています。
尾道から今治迄までの距離は46.6km
途中、伯方の塩で有名な伯方を通ります。

因みに、瀬戸内海の美しさは明治時代に外国人によって発見されたと言われています。

シュリーマンが見た江戸

「シュリーマン旅行記 清国・日本」の放送が公共放送から流れてきます。
教科書で学んだトロイの遺跡を発掘した、あのハインリッヒ・シュリーマンです。
江戸末期に日本を訪れている。

素晴らしい評判を山ほど聞いていたので、私は江戸へ行きたくてうずうずしていた。(石井和子訳)

幕末の江戸では開港か否かをめぐって安定しない情勢だった。
見るもの聞くものを事細かく書いている。
日本人にとっては当たり前の生活様式だが、シュリーマンは日本の文化に感嘆している。

茶碗について

まるで卵の殻のように薄いにもかかわらず、きわめて丈夫な陶器の茶碗があると書いている。

西洋人にとっては小さすぎて、何に使われるのかわからないと言いながら、光り輝く漆器や蒔絵の盆などの美しさについて感心している。

江戸時代 の様子が私たち日本人にとっても目に浮かぶようだ。

絹織物

シュリーマンはこの織物屋の畳にも目が行っていて、長年にわたって清潔に保たれていると書いている。
特に反物屋の畳はきれいなのは私たちにとっては常識。
その反物屋に下駄を脱いで畳の上に座り品定めをしている客の様子が書かれている。

そういえば昭和の初めは京都大丸での買い物で草履を脱いで上がったということを昔の人から聞いている。

流石のシュリーマンの観察力。
反物は引き出しから出すのではなく在庫品置き場の上の階まで取りに行くところまで見ている。

国産の絹織物を扱う店が多いのに驚いている。
品数の豊かさ店の大きさにも触れている。

障子戸を広く開けて反物を打っている店は今でもあるが、 着物が主流の生活様式であった 江戸時代には現在の反物屋よりもっと活気があったに違いない。

女性の服装

着物の下着は木綿で前開きであり、その上に鮮明な色彩の長い着物を付けていて長い帯で巻かれている。

帯の結び目のところを、昔の弾薬入りのようだと例えている。
日本人にとって弾薬入りがどんなものか分からないが、丸びを帯びた帯が珍しく映ったのではないかと思う。

一度は行ってみたい雪国の町、関東と越後を結ぶ道三国街道沿いの魚沼

「春は名のみの風の寒さよ~♪」の春は来ているけど、まだまだ寒い三国街道沿いに位置する魚沼地方です。

戦国武将、上杉謙信が越後から関東へ向かった道が三国街道、その三国街道沿いにかつては宿場町があり現在は観光地になっています。

お酒

古い町並みを見学しながらお酒や食事を楽しめる場所。

越後上布を雪の上でさらす景色は一度は見てみたいもの。
雪解けが進むこの時期、草木の芽が出始めていて春の息吹を感じます。

お米の収穫時期も日本の原風景ですが、雪景色は今しか見られないのでチャンスを逃さないように!
12月~2月は雪の多さに不便をきたすことが多いのですが、春になって雪解けが進んでいる今の景色も捨てたもんではありません。

もちろん真冬のゲレンデは一番輝いている時期ですが・・・・。

国内の雪景色をちょっと見て情緒も味わいたいと思う人にオススメなのが春。

「春は名のみ~」なので雪、雨用の靴は必須です。

和装では欠かせない帯と帯締め!銀色に光る帯とサンゴの帯締めの色合い

着物の帯は洋風で言うとベルトに相当しますが、全くイメージが違います。

日本の帯の種類が豊富なことは言うまでもありません。
ファッションの一つなので当然と言えば当然ですが、買わずとも見るだけでもウキウキします。

「帯に短し 襷に長し」という諺がありますが、役に立たないという意味です。

帯にする最終段階(縫い合わせる)を作っていたのを見たことがありますが昔の女性はそういう点では器用にならざるを得なかったようです。

反物を縫う人たちは極端に減ってきました。
女性のたしなみの一つとして反物縫いは必須だった時代も。
今は職人さん任せになってしまったのですが生活の為ではなく、趣味用の手織り機が販売されています。

帯の結び方

帯の結び方は一度覚えてしまえば楽ですがめったに着ないお帯のために練習する人も減ってきたのではと思います。

写真の帯の柄は真ん中の位置を気にせず結ぶことができるので重宝します。
帯の合理的な点は一枚の長い反物なので折って仕舞うことができる所です。

帯の結び方の説明が丁寧にされている動画を見つけました。
他にも沢山あるようです。

帯どめ

帯には帯留めを使いますが使わないことの方が多い。
サンゴの帯締めも使わずじまいで眺めるばかり。

母から譲り受けたものですが、母はその父親から贈られたもの(私たちからは祖父)で、細工はキチンとされているので長持ちしています。

京都では観光客が舞妓姿で街を歩いているのを見ますが本当の舞妓さんと、にわか舞妓さんとはすぐ区別ができます。

これもご愛敬。

*旅行するなら宿泊場所探しが必要です。
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