暑い夏も終わり、お彼岸が近づいてきました。
お数珠を持ってお参りする方が多いと思います。
そのお数珠、焼香をする時に人それぞれのやり方、数珠の持ち方があります。
あるご住職のお話です。「私は浄土真宗東本願寺と大谷派の教えしか知りませんから、他の宗派のやり方は知りません」と前置きされました。
簡易型のお数珠は(白い)珠を下にして(房が下がる)親指と人差し指の間で挟み、両手を数珠の輪の中に入れます。
ところが片手だけを輪に入れもうひとつの手のひらで抑える人、また数珠は片手の手首のところにぶらさげて手を合わせる人、いろいろな方がいらっしゃいました。
私は他の宗教の事を知りませんからどれが間違いかは言いません。
私が教わってきたやりかた、数珠の輪の中に両手の掌を合わせて入れる。このやり方しか知りません。
また長い108の数珠玉の珠の正式な場合は、房が長いので白玉も上にして(つまり房も上にして)房を左側に垂らすというのが東本願寺の作法となっております。
この頃は、葬儀場の係の人が作法を説明してくれることが多くなりましたから迷うことが少なくなったかもしれません。
東本願寺大谷派は、抹香を押しいただかないで2回つまんで香炉に落とす(宗派によって違います)
お焼香も最初に説明があるのは助かります。
お数珠を忘れてしまったり、お数珠を使わない宗派のひとは使わなくても心配無用とのことです。
春の彼岸の法話
春の彼岸の日に、お寺様の法話の中で「死」という字の説明がありました。
左の夕という字は骨を表していて右のカタカナ「ヒ」に似ている字は向き合う姿を表し合掌した形に似ている。
だれもが向き合う人生の最期、子に先立たれた親の心境は計り知れない悲しみがあります。と続きます。
お話の中で禅僧、良寛の歌の話が出ました。
「散る桜、残る桜も、散る桜」
良寛
桜ははかなく散っていきますが残っている桜もやがて散っていきます。
はかなさが桜の歌で例えられています。
良寛はこの歌を桜で有名な吉野の里で作ったということです。