あれもこれもリチュウムイオンのお蔭

昭和23年生まれの団塊世代の吉野彰氏(旭化成の名誉フェロー)がノーベル化学賞を受賞しました。
リチュウムイオン電池の開発者です。

ニッケル電池からリチュウムイオン電池になって身の回りのものが小型で軽いものに変わったということです。

あれもこれもリチュウムイオン電池のお蔭なのです。


明るい顔のノーベル化学賞受賞者、吉野彰氏

私たちはスマホ、ビデオカメラ、ノートパソコン、デジタルカメラなど数え切れないほどリチュウムイオン電池の恩恵を受けています。

スケールの大きいことでは、はやぶさ2に搭載、ボーイング787のエンジンが電動駆動に代わる、新幹線N700S形の自動走行システムを支えているなど。

はやぶさ2に搭載された理由にリチュウムイオン電池は宇宙の中で充電を繰り返すことができ、その上劣化しにくいという長所があったからという。

当のご本人はスマホも最近まで使っていなかったと笑っていました。

研究人生の最初の頃

30年以上の研究を重ねてきた苦労を明るく受け止めている吉野氏ですが、研究を始めて3~4年後が辛かったと述べています。
今から33年前ほど前のことです。
次から次へと解決していかなければならない問題があったというのです。

その頃、枕に髪の毛がくっついているのを見てストレスがあるんだなと感じたと奥様が言われていました。
こういうこと(受賞)になるならもっとサポートしてあげればよかったと笑って話す奥様も明るい!

研究はマイナス極の材料から始めたという。

研究に大切なことは柔軟性と鋼直性、そして執念という。
未来を読みながら研究する先読みすることは、少々の苦労をものともしない。

作っても売れない時期があったが、windows95が出てきたのをきっかけに道が開けたという。

携帯に使えるとはだれも想像していなかった時期、世の中ではポータブル化していく流れがあり小型化が必要だったことに繋がった。

同僚の研究者が、吉野氏は誰も思いつかないことにひらめきがある人だったという。

座右の銘は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というのも頷けます。
この齢になっても謙虚にという姿勢は変えないとのこと。

子供たちへのメッセージ

子供たちへのメッセージは、好奇心を持つこと、いろいろと経験していくこと、そして、だれかがきっかけを与えられることが必要だと。

自分自身もきっかけを与えてくれる人がいた、大騒ぎして喜ぶことも大切ですという吉野氏の顔は子供のように明るい。

ご自身が子供の頃、ろうそくの芯は何のためにあるのだろう?という思いから化学に興味を持ったという。

リチュウムイオン電池の伸びしろ

リチュウムイオンはまだまだ謎が多いというのです。
リチュウムイオン元素は軽い元素で、そのものはシンプルだがイオンになった時に挙動が出てくることがある。
伸びしろがある分野ですという。

IOT, AIが融合して新しい世界を生み出していく、その時に大きな役割を果たすのではないでしょうかと。

カメラがたくさんあったのでドッキリカメラだと思ったと言って場を和ませている吉野氏でした。(TV報道から)




平安な時代だった都の暮らしにタイムスリップできる京都御所

一般公開日の最終日に京都御所を訪れました。
御苑の中を散歩しながら御所入り口に向かう途中、玉砂利の音でタイムスリップ。
御所と城との違いは、御所にはお堀がないことです。
こういうところからも平安な時代であったと感じます。

雅な世界にタイムスリップ



鶴、虎、鴨などが描かれた部屋が並んでいる。

玉砂利を踏みながら紫宸殿の方へ歩きます。

門の向こう側に見えるのが紫宸殿。 ここで重要な儀式が行なわれていました。

蹴鞠の一般公開

運よく蹴鞠を見ることが出来ました。
蹴鞠は作法があり、一定のルールで蹴り上げる和式サッカーです。

結構うまく蹴り上げていました。

重要な儀式が行われた紫宸殿

大正天皇、昭和天皇の即位式もこの紫宸殿で行われました。

左近の桜
右近の橘

回遊式庭園

御所内の自然、建物が一体となっている。落ち着いた雰囲気の庭園です。

春に訪れたので桜が満開

お抹茶で一服

やまぶきの花が出口に咲いていました。(春)

ヨーロッパからの買い付けで活気づく錦鯉の町

新潟県山古志の錦鯉

新潟県は錦鯉の産地です。
錦鯉の姿に魅了されて外国(特にヨーロッパ)からの買い付けがあるそうです。

錦鯉は江戸時代、食用の真鯉から突然変異によってその模様鯉が出現したそうです。
泳ぐ姿、模様、色合いなど、美しい鯉が泳いでいます。

名前がある錦鯉

赤、黒、白が入った鯉が昭和三色、白ベースで赤、黒、白が入っていて女性らしいのが大正三色だそうです。見分けるのが難しいです。

丹頂鶴のように赤く丸い班が頭にあるのが(下の水槽の右上)丹頂、日の丸に通じているので人気だそうです。

体型は丸みを帯びたのが良く、美しさを競う質では、白はより白く、赤は鮮明な赤であることが条件、模様は品質によって評価が変わるということです。

人間のミスコンテストと同じですね。

金銀山で有名な佐渡には歴史的な物語がいっぱい

百人一首百番目の歌は佐渡に流された順徳院の歌

百敷や 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり

百人一首 順徳院

繁栄した昔を忍んで歌ったものが最後の百番目を飾っています。

承久の乱で敗れた順徳院(天皇の位を退位して承久の乱に参加)は佐渡に流罪となり、そこで20年以上過ごしたと言われています。
そして佐渡で一生を終えました。
能の世阿弥や宗教家日蓮なども佐渡に流罪となっています。

佐渡には悲しい物語がいっぱいですが、そんな佐渡には金銀山があり、江戸時代には重要な土地でした。
政治的に流罪となった文化人の影響で、文化遺産が今もなお多くあります。

ジェットホイルで佐渡へ

新潟港からジェットホイルで佐渡へ向かいました。
新潟駅から新潟港まではタクシーで10分ほどで行けます。

新潟港から両津港へは50分ほどの船旅ですがほとんど揺れません。
フェリーとジェットホイルがあり、佐渡で車を使いたい人はフェリーがいいでしょう。
ジェットホイルはフェリーより30分ほど短縮できますがゆっくり日本海を楽しむ方はフェリーでも。

両津港が見えてきました。
国際保護鳥の朱鷺、トキ色は顔の辺りの色のことです。羽を広げた時の内側もトキ色です。
金銀山に向かう途中に史跡があります。

金山の中はひんやりして暗い

金山の洞窟はひんやりしていて冷房知らずですが真っ暗な中の作業で視力を失う人も出たとか。
金山が幕府の重要な場所だったことは対岸の本州側、出雲崎の歴史標から理解できます。

砂金堀の様子が模型で示されています。

佐渡からの船着き場は重要な場所だった

佐渡からの船着き場に出雲崎があります。
明治天皇の行幸や吉田松陰の来県の記録があることから重要な土地であったことが窺えます。

鎖国中イギリス人、アメリカ人、ドイツ人も訪れています。

この出雲崎の港から順徳院は佐渡に流されました。

海岸線

海は荒海、向うは佐渡よ~♪という歌があります。
海岸線に沿って走ると人面岩を見つけました。

ところで佐渡にはクマはもちろんイノシシもいないと聞きましたが確かではありません。

彼岸花(曼殊沙華まんじゅしゃげ)が一輪

真っ赤な花の曼殊沙華(彼岸花ひがんばな)

曼殊沙華(彼岸花)の真紅の色が秋の空に映えます。
この彼岸花、秋の彼岸時期に咲き茎が伸びてきたと思うと、鮮やかな赤い色をつけます。
月あかりが無くても映えるほどの赤い曼殊沙華 、梵語で「赤い花」という意味だそうです。

野道やお墓にも見られる曼殊沙華。
枯れる時は、すぅ~と消えていきます。

このような咲き方や咲いている場所から、 お墓のイメージ と重なってしまいます。
花はダラダラと残っていない。

不思議な咲き方ですがとても美しい!

葬礼について

彼岸花から話が飛躍してしまいます。
葬礼について以下のような記述がありました。

内田 樹著「こんな日本でよかったね」の中で、

「人間は葬礼という習慣を持つことによって他の霊長類と分かれた・・。
人間であるとは「生まれる前」と「死んだ後」の中間の領域に暫定的にいるということであり・・・・・・」と書かれています。

彼岸は過ぎましたが家族の不在を感じたり先祖に畏敬の思いを持ちながら、この彼岸花を見るとまた違った見方が出来るかもしれません。

曼殊沙華の別名:彼岸花、狐花、幽霊花、火事花

今治謹製 紋織タオルを頂きました

今治ブランドを使用するには条件をクリアしなければならないようです。

吸水性と肌触りが抜群の今治タオルの箱の中の様子、奈良時代から築上げた職人の技がタオルの中に詰まっています。

大正時代からのジャガード織の先駆者としての今治、日本人の繊細な肌にはもちろんのこと、世界中でも評判の今治タオルです。

綿100%のこのタオルは紋様になっていて、海や川の流れを連想させます。
心地よい感触が気分を和らげてくれます。

贈り物に使いたくなるほどのタオルと丁寧な内容です。
波をイメージしたタオルがこちらです。↓↓

瀬戸内海の大島、大三島、伯方島などを通り今治市と尾道を結ぶしまなみ海道があり交通は非常に便利になっています。
尾道から今治迄までの距離は46.6km
途中、伯方の塩で有名な伯方を通ります。

因みに、瀬戸内海の美しさは明治時代に外国人によって発見されたと言われています。

お数珠の持ち方、お焼香の仕方

暑い夏も終わり、お彼岸が近づいてきました。
お数珠を持ってお参りする方が多いと思います。
そのお数珠、焼香をする時に人それぞれのやり方、数珠の持ち方があります。

あるご住職のお話です。「私は浄土真宗東本願寺と大谷派の教えしか知りませんから、他の宗派のやり方は知りません」と前置きされました。

簡易型のお数珠は(白い)珠を下にして(房が下がる)親指と人差し指の間で挟み、両手を数珠の輪の中に入れます。
ところが片手だけを輪に入れもうひとつの手のひらで抑える人、また数珠は片手の手首のところにぶらさげて手を合わせる人、いろいろな方がいらっしゃいました。

私は他の宗教の事を知りませんからどれが間違いかは言いません。
私が教わってきたやりかた、数珠の輪の中に両手の掌を合わせて入れる。このやり方しか知りません。

また長い108の数珠玉の珠の正式な場合は、房が長いので白玉も上にして(つまり房も上にして)房を左側に垂らすというのが東本願寺の作法となっております。
この頃は、葬儀場の係の人が作法を説明してくれることが多くなりましたから迷うことが少なくなったかもしれません。
東本願寺大谷派は、抹香を押しいただかないで2回つまんで香炉に落とす(宗派によって違います)

お焼香も最初に説明があるのは助かります。
お数珠を忘れてしまったり、お数珠を使わない宗派のひとは使わなくても心配無用とのことです。

春の彼岸の法話

春の彼岸の日に、お寺様の法話の中で「死」という字の説明がありました。
左の夕という字は骨を表していて右のカタカナ「ヒ」に似ている字は向き合う姿を表し合掌した形に似ている。

だれもが向き合う人生の最期、子に先立たれた親の心境は計り知れない悲しみがあります。と続きます。
お話の中で禅僧、良寛の歌の話が出ました。

「散る桜、残る桜も、散る桜」

良寛

子供と遊ぶ良寛和尚
桜ははかなく散っていきますが残っている桜もやがて散っていきます。
はかなさが桜の歌で例えられています。
良寛はこの歌を桜で有名な吉野の里で作ったということです。


十五夜そしてその後にためらいながら出る十六夜の月

9月13日は
♪う~さぎうさぎ何見て跳ねる、十五夜お月さん見て跳ね~る♪ と歌われる
中秋の名月、 ススキや団子を供える風習が今でも残っています。

古来、日本人は生活の折目として月を愛でてきました。
米や農産物の収穫時期に、自然の恵みに感謝し拝むという風習があります。

月の呼び方にもいろいろあります。
中秋の名月
十六夜
有明の月
後の月
良月
弦月
無月など数え切れないほどあります。

秋風に たなびく雲の たえ間より 漏れ出づる月の 影のさやけさ
(百人一首  七十九番歌)

十六夜(いざよい)

いざようとはためらいながらという意味で、十五夜の後に出てくる月を十六夜と呼びます。名月の後にためらいながら出てくる月も日本人的ですね。

地球が生まれた時は月は存在しなかったということです。
潮の満ち引き、睡眠摂食など人間の生活にとって無くてはならない月、太陽の反射によってできる月あかり、そんな月を眺めながら物思いにふける秋です。

月見れば千々に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど(百人一首二十三番歌)

万葉集の植物

現在ではめったに目にすることがない「ムラサキ」

万葉集にも出てくる紫草、花は可憐な白色ですが根が染料に使われる。
気品高い紫色は本来はこの紫草の根から作られた。

しかし現在は外国産に代わってしまっているという。
国産むらさきの苗の成長が楽しみです。

万葉集から

託馬野(つくまの)に生ふる紫草 衣に染め いまだ着ずして色に出にけり  巻三・三九五
*片思いの恋を紫色に染めた衣装にかさねて「いまだ結ばれないうちに他人に知られてしまった」という意味に詠んだ歌と解釈されている。
(万葉植物園 入場券の説明より)

あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る(額田王)
*紫野は紫の草の野という意味。

紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも(大海人皇子)
*紫草のにほへる妹は紫草のように美しいあなたという意味。

講談社 中西 進著引用

椿

河の辺のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は(万葉集)

講談社 中西 進著引用

弓絃葉(ゆずるは)

古に恋ふる鳥かも弓絃葉の御井(みみ)の上より鳴き渡り行く(巻第二)

* この中の鳥はホトトギス(中西 進著から)

ゆずるははユズリハ(譲り葉)のこと。
新芽が出ると親の葉は枯れ落ちていくことから親から子へ代を譲っていくことから譲葉と名付けられた。

自宅庭で芽を出したユズリハ、左の親の葉が枯れ始めています。

桔梗(ききょう)秋の七草

万葉の時代の朝顔と言われているのが桔梗らしい。(ウイキペディア、他参照)
どちらにしてもきれいで可憐な野生の花です。

自宅に咲いた桔梗です。
やさしい紫色ですが花はしっかりと自己主張している色です。

女郎花(おみなえし)

女郎花と秋萩とが入り混じって咲いている。
蘆城(大宰府)の野原をば今日を見はじめとして何時々々迄も見よう。
(折口信夫著から)

手に取れば、袖さへ句ふ女郎花。此白露に散らまく惜しも(2115)

銀杏の木に実がたくさん付いています。

菊は見るもよし食べるもよし、飲むもよし

9月9日は重陽の節句、菊日和とは程遠く、今年は暑い日が続きます。
と言えどもコオロギの鳴き声が聞こえてくるのでもう秋なのですね。

菊は食用にも使われ、折り箱の中にも菊の花が添えられています。
菊祭りは全国各地で開催されます。
見るもよし、食べるもよし菊の花です。

邪気を払うと言われている菊酒。

重陽の節句

菊酒は重陽の節句に飲まれているお酒で邪気を払うという言い伝えがあります。
中国唐時代の孟浩然の菊酒の漢詩がラジオから流れてきました。
この重陽の時期にぴったりの漢詩です。

酒や甘酒を楽しめるということは、余裕があっての飲料であります。
暮らしの中での楽しみ方は今も昔もどの国も同じですね。

菊の花

さて、日本の古典「徒然草」(兼好法師)の中で、山里のひっそりしたところに菊や紅葉が仏具棚に無造作に置かれている様子をみて、こんなところにも人が住んでいるのだとしみじみ感じる、とあります。
世捨て人、兼好が秋の道中に、お供えであろう菊を見て、こんなところにも人が住んでいるその気配は菊によって表れています。

菊の香や奈良には古き仏達(芭蕉

芭蕉の碑

芭蕉も奈良で菊を詠っています。
香るほど多くの菊が供えられていたと思います。